バナナサンデー
ファミレスで1人、
バナナサンデーを食べる夜は
予想もつかずに突然やってくる
帰るには少し勿体無い、日曜日の夜。
このまま帰ってもなんとなく満たされない私は
1人ファミレスに向かう。
特にお腹が空いているわけでもないのに、
物足りない心を満たすために注文した。
手っ取り早く私の機嫌を取るために
いつも使われる。
東京のファミレスには
夜が深まる時間でも
いろんな年齢の人が
いろんな事情を抱えて集まる
そして
気づいたら
私も上手に溶け込んでいる。
チョコソースがかかったバナナと
下に入ってるコンフレークを、
バニラアイスが上手に融合させてる。
私はファミレスが好きだった
両親に連れてってもらい
ハンバーグとデザートを食べる。
子供の頃楽しい瞬間に垣間見た、
夜ファミレスでパフェを注文していた
あの25歳くらいの女性は
とっても寂しそうに見えた。
一人でこんな時間に、一体何をしているのだ。
家で彼女を待つ人はいないのかな。
でも、今になってわかる。
幼い自分に教えてあげたい。
一人で食べるバナナサンデーは、
君が想像しているよりよっぽど美味しい。
今日会った人たちを思い出して、
一人になった少しの開放感に浸って、
夜に背徳感を感じて食べるバナナサンデーは、
案外、気持ちの良いものだと。
口に運んだアイスは歯に染みて、
チョコの甘さは素早く深く口に広がる。
甘いしか語彙のなかった幼い自分が
食べたものと同じはずのバナナサンデーも、
場所と時間と年の経過で培った感受性で
大人の味に変化していた。
いや、変化させられていたと思う。
偽善
誰かを傷つけたくないので
優しくされるのが苦手
わたしは優しさをばら撒くのが好き
特定の人から傷つけられたくないので
その人にがっかりしてしまったとき、
わたしが想像以上にその人に期待してしまっていたのだと気づく
その人はなにも悪くないのだ
わたしが勝手に期待したのが悪いのだから
傷つけるつもりはないけど、これ以上無理したら壊れてしまうかもしれない
会いたい恋は
10代で終わってしまったから
自分を保つ生き方を優先している
自分を見失う恋は10代で終わってしまったから
寂しさを埋めたい気持ちはある
寂しい時こそ自分を保たないので、適当な男で埋めていたい
自分を保てている時だけ、君に会いたい
だから余計なことを言ってこないで
無責任に、なんでも話してなんて言わないで
君には期待していないから
どうせわたしの全てをわかってくれるはずない
わたしの全てをさらけ出しても
わかってもらえず困らせるなら
わたしは言わないほうが幸せだった
好かれるのは窮屈だ
いつも君に期待されている気がする
嫌われているほうが楽だ
私が何をしようと誰も見てないから
桜
桜の木の美しさにどこか違和感を持っていた。
大学生にとって桜はイベントの一つ。
ハロウィン、クリスマス、バレンタイン、ホワイトデー、並んで、桜を見ることもイベントである。
酒を飲み、羽目を外し、叫び走り解放感に溢れた人間たちの下に根を伸ばし、それらを見守るように頭上に広がる桜の花。
本当に恐ろしいものだ。
恐ろしく美しい。
凛と美しく花を咲かせた後に、そのような下劣な人間を見守る余裕すらある。
桜、君の寛容さにわたしは感動する。
君にはどんな過去があるのだろうか。
今までどんな人間を見てきた?受け入れてきた?
わたしが桜だったら、木の幹に毒を持つだろう。たやすく触ってくれるなよ、と寄り掛かってくる人間の肌が赤く腫れて痒みが治らないような、毒を持った桜になるだろう。
酒を飲んで足元がふらつき、幹に寄りかかったとき、人はふと静かで冷たい空気が木の下に流れていることに気づくだろう。
桜、君は冷たい、とっくに感情を失っている。この木の幹に美しい女が閉じ込められているようだ。
桜は抱きしめてくれるわけではない、ずっと私を見つめている。
何も言わない桜は意見がなく弱い女ではない、
全てを受け入れてじっとそばにいてくれる
強さを持つ女である。
花見という文化。
果たして人々は、本当に花を見ているのか。
いや、花たちが人間を見ているかもしれない。
記憶
ふとしたことで良くて、わたしが好きな電車の車両とか、この飲み物が好きだとか、「こんなこと覚えてたんだ。」ってことを覚えてくれている人がいる。
人の記憶は勉強に似ている。何度も復習すれば覚えられるが、思い出さずにいると忘れてしまう。
昨日読んだ本にこんなことが書かれていた。人の脳は10%しか忠実に記憶できず、残りの90%はその人が何度も思い出して復習したもので形成されていると。
ほんと、つまらない会話とか、くだらない遊びとか、よく覚えている人がいる。
あの時食べたものとか、あの日着てた服とか。
私はもう忘れてしまっていた。
君は何度も私を思い出してくれている証だった。
私は芸術家でもなければ、音楽家でもなくて、死んでも何も残せないな、とよく考えているけれど。私がいなくなっても君の記憶の中くらいでは生きていたいなと思う。
2019の記憶に私はいるか、ふと気になってしまう、気にしなくていい酔っ払った夜だから書いてみる独り言を
朝になれば忘れる
余裕
いい男と
18:00に待ち合わせをして
お洒落なカフェに行くのだ
私は彼と同じ
アイスコーヒーを頼み
ミルクを入れ
カランカランと音を立てて
優しくかき混ぜる
彼の話を目を見て聞いて
ゆっくり頷く
私の口から話すことはない
彼のグラスから水滴が落ちると
私はそっと紙ナプキンを渡す
最後の一口を残し
店を出る
歩く彼にくっつきながら
できるだけ静かに歩く
「来る?家」と言われても
「ううん、帰る」と言う
彼といる時
私はできるだけ余裕な女でありたいのだ
味付け
どうせ出てきてくれる
チャイムを押した もう一回押した
足音が聞こえてやっぱりって思って
優しくないけど傷つけられない
もう彼女ではないわたしを
家に入れてくれることも知ってた
日々につかれてしまって
頼る人をまちがえてしまって
家に行ってしまって
ドアが開いて困った顔と目があった
まだ置いてある歯ブラシに安心した
必要のないコンタクトケースもおいてあった
まだわたし捨てられてないのかなって
思ってしまう
2人の部屋も一週間で1人の部屋になってた
見たことのないもの増えて散らかってた
日々につかれたフリして
頼る人をまちがえたフリして
来てみたんだけど
迎えてくれるのは笑顔じゃない
いつか麻婆豆腐が食べたくなる日が来て
いつかドライカレーが恋しくなる
きっとこれを繰り返して
なかなか火がつかないコンロで料理する
後ろ姿をまた見る気持ちでいる
ずっと
この先も
だからまたあの日々をまた
味わいたい
でも
この部屋で初めて濁った涙を見た
情が薄いと思ってた君が
こんなに苦しそうに泣けることを知って
わたしも心底苦しかった
いつか2人だけで笑える日は来るのか
いや
いつか2人ずつで笑える日
私たちが願うのは、こっちだろう